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他民党projectについて

 

1.目的

アーティヴィズム的手法によるProjectの実施と作品化、及びその実施を通してのアーティヴィズムの可能性と課題の検証を踏まえての、社会におけるアートの役割に対する考察

2.内容

パフォーマンス作品を含むパフォーマンスとしての擬似政治活動の実施と、その行為・行動とそれらの記録のアーカイブ化による作品化の過程に於いて、アーティヴィズムの持つ可能性や課題に対する考察を行い、加えて、アートと社会、社会におけるアートの役割についての再考を試みる。

3.内容

①疑似政党として立党した、多民党の選挙カーを制作。

②日本の国土に『ニホン』という文字を描くように選挙カーで移動し、文字の各部の始点と終点に於いてパフオーマンスを実施。

③②におけるパフォーマンス(移動・疑似政治活動)の軌跡をまとめた映像とパフォーマンスに使用した選挙カー及び張りぼての政治家を発表。

 

 

目的:

政治と日本国民のアイデンティティの所在や特徴を直接のモデルとして、本作品は企画・制作されている。 私がこれを表現の主題に選んだ理由は、現代日本の政治や経済の迷走の原因がアイデンティティの欠如にあると考えた為であり、私は本作に於いて取り組む一連のプロジェクトを通して、日本の姿を政治的な側面からカリカチュアすることで、日本国民が有するアイデンティティのあり方に疑問を呈し、それによって我が国の国民の意識を、政治や、私を含む国民の所在=国民のアイデンティティの問う事を目論んだ。 1991年以降の日本人の有するアイデンティティの脆弱さは他国に類を見ない。それは、領土問題や憲法改正問題に露呈する。しかし過去において、日本国民が社会に於いて示すアイデンティティは非常に堅固であった。規律や道徳を重んじる姿勢や、一つの目的に向かい国民全体で邁進することはその好例と言えるだろう。この日本人の姿は、島国であるという地理適要因や風土的な側面から見た国家の成り立ちに原因を見る事ができるように思われるが、ここに現れるアイデンティティは、個々人の独立したものと言うよりは、集団的に示されるものであって、その意味に於いて、社会的なものとしてのアイデンティティ=社会的アイデンティティと表現することが適切なものであるように思われる。 しかし、日本人のアイデンティティとも言えるこの社会的アイデンティティの強さも、近年の影を潜め、それに伴ってか、国家や経済は救心性を失っている。グローバル化した社会において、日本が日本として独立し、少なくとも経済・産業分野での国際社会での優位性をこれまでのように保つためには、何らかのアイデンティティの構築が急務であろう。日本で生きる私が、その日々の生活において受けるこのような日本・日本人の所在=アイデンティティに対する心象が、本作の制作に向かう動機の一つである。

 

内容:

 ①他民党プロジェクト考案の前提 東日本大震災は、私たちにこの国でどのように生きていくべきかを再考させた。その結果として、与党であった民主党は政権から外れ、国政は再び自民党を中心とした連立政権を選択することとなった。私たちの生活が政治と密接に関係していると再度認識される出来事として私の目には映った。社会的アイデンティティは、ここ日本においてしばしば個人のアイデンティティに置き換えられる。先の大戦時下における献身的な滅私奉公や、戦後の急速な経済発展を無し遂げたモーレツ振りに代表されるに姿に、それは如実に現れていると思われる。それは恐らく日本人特有の気質であろう。しかしこのアイデンティティの置換は、経済至上主義の果に訪れた、極端な個人主義が横行する社会においては、必ずしも良い方向へと社会を向かわせるものではなくなってきたように感じられる。社会的アイデンティティの特徴が、その集団性による安定性にもあるとするならば、それ故に発生する小回りの利かなさ、つまりは遅効性によって、急速に変化する世界に追従することが叶えられず、結果、私たちの社会に様々な混乱を招く要因となっているのかもしれない。この仮説が正しさを持つものであるならば、日本(人)の社会的アイデンティティと個人のアイデンティティの関係、或いは、指向性を明確にし、日本の姿を再認識することが本当の意味での復興を生むはずである。私たちがアイデンティティを獲得するという事は、戦後日本の日本社会に於いて、初めての本当の意味での国家の独立を獲得することを意味するのだ。日本においては、社会的アイデンティティの構築に政党というものが大きく関係する。それは民主主義国家であり、政党政治によってそれが目指されているからであり、民意(マジョリティーの意見)=政治と言う図式が成り立っていることになっているからである。しかしながら現状は大きく異なるように感じられる。我が国では、国民は責任を政治家に押しつけ、政治家は常に国民の顔色を伺う。誰が誰の為に政治を行っているのか不思議に思える程の有様だ。本作では、このような日本におけるアイデンティティの有り様を明確に示唆するために、他民党という疑似政党を立党した。第一与党である自民党を揶揄し他民党という名称をつけることでカリカチュアした。

 ②他民党プロジェクトの仕様と意図他民党の看板、党首などそれぞれ象徴となるものは全てハリボテでできている。それらの材料となる物も特殊な材料は用いずホームセンターで購入できるベニヤ板、建材用塗料等を用いることで、可能なかぎりDIY的な雰囲気を出すように心がけた。プロジェクトに使用されるこれらのDIY的な親和性や自主性といった印象を観る者に与える幾つかの道具は、既存の政党政治が用いる道具とはかけ離れ、その対比に於いて生まれる齟齬が、私たちの心の中で疑問という形をとり結実するはずである。また党首の顔は、観光地にある記念撮影用のハリボテのように顔の部分に穴が開いている。誰もが政治を担う事をその穴はしているのだが、それによって、社会アイデンティティと個人アイデンティティの置き換えが無意識に起こっている事も暗喩している。

 ③他民党プロジェクトの実施これらのハリボテ群を用い、自身の車を選挙カーとして日本各地を巡った。選挙活動のプロセスを踏襲し擬似的な選挙活動をすることで、よりアイロニカルに日本人が持つアイデンティティの実態を示す事を目指した。この時、擬似的な選挙活動と同時に、選挙カーの走行軌跡が文字となるように移動し、その走行軌跡で日本に『ニホン』とタギングを行った。しかし、同時に本作におけるタギングは、日本と呼ばれる大地・国土に、一種のルビ=振り仮名を振るという説明行為と考えることが出来る。上に述べたように、本作品においてその移動の軌跡によって読みを付されるのは国土、すなわち日本である。日常に於いて、ルビが必要となる場合は幾つか考えることが出来るが、いずれにも共通していることは、わからないであろう事柄を解りやすくするという目的で使用されるという事である。誰もが知っている「日本」にルビをふる事で、日本国民や日本のアイデンティティを問うためのメッセージを発することを意図しているのであり、走行軌跡でのタギングは集団の存在主張という、ある種の声明の発信なのである。そして、そこにルビを振る事と形式的に等しくなるというパラドックスの存在が潜んでいることを示す事で、プロジェクトに内包されるメッセージがよりシニカルに、強調されることを意図した。

 

方法:

本作はアートと呼ばれる文化的カテゴリーの中に存在しており、表現はアーティヴィズム的手法と呼ばれる手法によっている。アーティヴィズムおよびアーティズム的手法は、ギードゥボールが提唱したシュチュエーショニスト・インターナショナルからのアクティヴィズムを源流としていると言えるであろう。アクティヴィズムは様々な手法を用い社会的なメッセージを提示し、政治と文化を繋ぐある種の政治的活動とされてきた。それは、1950年代の先の大戦からの急速な経済復興とそれによる消費生活の拡大、冷戦構造の固定による政治や文化の保守化に対する一種のカウンターカルチャーとして流布していったという歴史を持っている。アクティヴィストは巨大な消費社会においてスペクタクル=観客化しつつある人々に警笛をならし、主体的な行動を促す活動をヨーロッパ中心に各地で展開し、ついにはパリ5月革命の原動力にまで発展した。しかし、アクティヴィズムは様々なアートの源流となりつつも、それ自体がアートとして語られることは少ない。それは、この活動が消費社会に対する徹底的な批判による変革を目指すという態度を旨とする為に、他者の想像力や思想が介入する余地がない為であろう。アクティヴィズムは概してラディカルであり、それらの活動はあくまで反抗という側面が強い。そのため、アクティヴィズムは常に規制の対象となり得る危険性を孕んでいるのである。一方、アーティヴィズムはアクティヴィズムに対して、よりアーティスティックな手法や表現を積極的に取り入れた活動であるとされるが、正確には、それは偶発的、結果的にその様な形態をとっていたというものであり、積極的に取り入れたというよりも、減退し閉塞的に変化する社会に対してより効果的な活動として評価されたものを分析的に検証してみたところ、たまたまそれがアートの概念に沿うものであったという事にすぎないようである。とはいえ、この事実は、アートが何らかの効果的な手法となりうる可能性を秘めていることを示すものであろうし、そのための指向の材料を我々に給する事実であろう。事実、減退する社会経済に沿うように、アートとアクティヴィズムは接近し続け、現代ではより幅広い表現の成立をそこに見る事ができる。アクティヴィズムもアートヴィズムも共に社会的な活動なのであるが、両者の違いはアートヴィズムの『とぼけた戦略性1』と呼ばれる性格にあると言える。社会的にラディカルな主張は世論や国家の弾糾の対象になりやすい。ラディカルな批判による攻撃をシニカルな笑いによる攻撃へとかえることで、アクティヴィズムは閉塞的な社会の中でも体験し共有しやすいアーティヴィズムに変化していったのだ。アーティヴィストは、社会的な活動の本来のゴールとされた革命という到達点に執着することを離れ、想像力や創造性の介入する余地を作り、それらを鑑賞者が主体的に拡げることを許容した。つまり、他者に委ねる戦略をとった。そしてその中で、オリジナリティや作家性といったものより、既存のイメージの擦り合わせを利用した活動を数多く展開していった。既存のイメージを用いる事で、時勢に即した『誰でも解るアート』をシニカルに作り上げたのだった。日本においては、少数派ながら1960年代前半にも赤瀬側原平らによるハイレッドセンターや加藤好弘らによるゼロ次元等アート的なアクティヴィズムも存在した。これら1960年代のアクティヴィズムは、シュチュエーショニスト・インターナショナルの主張と同様に、消費社会や拡大する経済至上主義、既存の制度に対する反抗という形で活動を行っていた。しかしこれらの活動は、高度経済成長が落ち着き、経済発展に陰りが見始めた1970年頃を契機として、徐々に影を潜める事となる。そもそも、戦後の日本においてアートは政治から自立した立場をとるような通念があったように感じられる。このことがアーティストの政治的デタッチメント、chim↑pom に代表されるアーティヴィスト、アクティヴィストへの拒否反応に繋がったと予想される。しかし、2011年に発生した東日本大震災を境に、アーティヴィズムが再び注目され始め、「いま、アートに何ができるのか?」ということが、メディアにおいて盛んに問われ始めた。東日本大震災は、政治や経済に大きな影響を与えた。日本国民は、自らがそれまで抱えていた漠然とした不安を目に見える形として示されることとなった。最早、アーティストは社会、或いは自らが社会生活において設けていたテリトリー、界線の内側に留まることなく、積極的に我々が抱える社会的諸問題に対してアプローチしていくこと必要となったのである。オウム真理教によるサリン事件や、9.11以降に急速に加速した監視社会。日本の社会が持つ閉塞的構造の中で、過激なアクティヴィズム的活動は難しい。しかしその一方、インターネットや様々なメディアが普及する中で、個人の発言力が増す現代において「とぼけた戦略性」を有するアーティヴィズムは、その閉鎖性をかいくぐり「アートができること」を示す効果的な手段となる可能性を示し始めているように思われる。本作は、このアートヴィズムを、これらからのアートの一領域と捉える事に発し、その手法を表現の展開に応用した、輻輳的構造を有する複合アートである。

 

 

© 2014 tamura akira 

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